【案内人ブログ】No.30(2019年9月)

絵本三題

綾子さんの著書『道ありき』は三浦文学の原点である。5年前、『道ありき』ゆかりの地、旭川市春光台に文学碑が建てられた。『道ありき』の中で、綾子さんは「わたしの家庭は、本を買ってもらえるような環境にはなかった」と綴っている。私の場合も全く同様でましてや「絵本」とはほぼ無縁で70数年を生きてきた。

最近、メル友から柳田邦男著『生きる力絵本の力』を紹介された。3.11東日本大震災がらみで誕生した絵本『ハナミズキのみち』。悲しく辛い体験は、時が流れる中で、人々に新しい息づかいをもたらし、何か新しいものを生み出す。つまり、新しい生き方への決心や他者を思いやる気持ち、絆の大切さなどである。私はなるほどと納得した。絵本を手に取ってみた。ハナミズキ?私はこの花をよく知らなかった。アメリカの代表的な花木。花言葉=華やぐ心。若い人々には、一青窈の歌「ハナミズキ」が知られており、ウエディングソングとして人気が高い。が、この歌は単なる恋の歌ではない。元々は、9.11テロに際しての想いが楽曲の動機だったとか。

5月下旬、何気なく聞いたNHKラジオ深夜便「私のアート交遊録」では、絵本作家・真珠まりこ氏が出演していた。対談テーマは絵本『もったいないばあさん』。この対談のキーポイントは「ひと」「もの」「こころ」を大切にすることは、命を大切にすることであり、同時に「平和」を保つことにつながるという趣旨であった。至言であろう。
ちなみに、「もったいない」という日本語は、ノーベル平和賞受賞者ワーガリ・マータイ氏(ケニオア)が国連で「MOTTAINAI」として世界に紹介。史上最年少17歳で同賞を受賞したマララ・ユスフザイ氏(パキスタン)も「MOTTAINAI」精神を世界に発信している。日本の「もったいない」文化は今、世界に浸透しつつある。

綾子さんが描いた唯一の絵本『まっかなまっかな木』*。この本は、「(ぶん)三浦綾子、(え)岡本佳子」と共著である。三浦綾子記念文学館開館20周年を記念し、昨年復刻版が出版された。「あれ、なあに」「これ、なあに」と何にでもいだく好奇心、「それから?それから?」と執拗にたずねる探究心、この二つは子どもたちの専売特許。絵本を手に取ってみた。野原の向こうの一本のまっかな木。気になってしょうがない。1日目、川のさかなに出会って夢中。2日目、子りすに出会って夢中。3日目、ぴかぴか光るりんごの木にやっとたどりつく。岡本佳子さんは「優しい心をこめて描いた」と語っていた。ちなみに江別在住のメル友は「岡本佳子の小さな美術館」(札幌市豊平区福住)に行ってきたという。三浦綾子コーナー、坂本九コーナー、地蔵さんコーナー、きんさんぎんさんコーナーがあり、岡本親子は三浦綾子さんと深く付き合っていたことが分かったという。来札の折には案内すると言われているが、未だ実現せず現在に至っている。

旭川出身の作家・永江朗氏は「51歳からの読書術」というエッセイの中で、「絵本のいいところは、絵がきれいで、文章が少ないことだ。しかも平易な言葉で書かれている。難しい漢字も使われていない。文章が少ないので、そのぶん、いろいろと自分で想像したり考えたりする。作者が何から何まで説明する大人向けの読み物よりも、そうした言葉の空白みたいなものが多い子ども向けの本のほうが、イマジネーションが広がる」と読書の心得をアピールしている。

以上、とりとめのないことを書き連ねてきましたが、みなさんも機会があれば絵本を手に取ってひととき童心に返ってみませんか?新しい発見があるかもしれません。

*『まっかなまっかな木』……綾子の唯一の童話で小学館「おひさま」1975年1月号に掲載された。2002年4月、北海道新聞社より絵本として出版された。

by三浦文学案内人 森敏雄

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【案内人ブログ】No.29(2019年8月)

三浦綾子記念文学館の環境整備を慶ぶ

昨年春に1階展示室のリニューアルが完成し、秋に分館が開館したことに続き、今年は喫茶室の前にウッドデッキが造られ野外喫茶がオープンした。また昨年、旭川駅からの「氷点橋」「氷点通り」に続き「三浦綾子文学の道」が整備され、文学館へと至るアプローチが一新されたことも記憶に新しい。
ところで、最近になり「北彩都あさひかわ」の中でも重要な大池の前に森山病院のウェルネスセンターが建設されようとしていることや、コーチャンフォー旭川店の隣に北海道スバルが本社を移転させるなど、これまでスカスカの状態だった北彩都のあたりがにわかに活性化してきていることに、皆さんお気づきだろうか。実は文学館の環境整備が進んでいることと、北彩都に新たな動きが生じていることは決して無関係ではないのである。
北彩都の関係者は知っておられると思うが、北彩都のアーバンデザインは何のためのものだったか。忠別川の雄大な自然と都市の賑わいが融合した空間形成こそが、新たな旭川の魅力になり、新たな活力を呼び込むと信じてやってきたということである。
だからこそ、開館20年を迎えて新たな事業を次々と立ち上げる文学館の動きは、2、3年前まで動きの鈍かった北彩都の土地利用に好影響を与えたのではないだろうか。私が聞く限りでは、旭川の人々は平成22年(2010年)に第一次開業となった新しい旭川駅舎を決して良く言わない。しかしながら、むしろ旭川の外からやって来た人の方が正しいことを言っていると指摘をしておこうと思う。旭川駅を設計した内藤廣氏は、『北のセントラル・ステーション』の中で次のように述べている。
「手前味噌になるが、これだけ規模が大きな駅で、ここまでの建築的な空間密度をもった駅舎は世界的に見ても例がないと思う。鉄道という新しい交通手段に未来を託した時代の駅舎、ロンドンのセント・パンクラス駅以来の空間ではないかと思っている。こちらは、街としても共に歩む21世紀の新しい駅舎の姿である。」
旭川が帯広より何十年も遅れてただ高架駅を造ったと思うことは、とんでもない話なのである。それでは何が可能にさせたのだろうか。内藤氏はさらに次のように述べている。
「20年にわたる設計から建設に至るプロセスを一人の建築家が一貫した姿勢で貫き通すことは至難の業である。これを可能にしたのは、それぞれのプロセスで意思決定をしていく委員会が同じメンバーで最初から最後まで継続されたからだ。学識経験者として臨んだ篠原修(土木)と大矢二郎(建築)、委員会をおぜん立てし協力に推進した加藤源(都市計画)、彼らの一貫した姿勢がこのプロジェクトを力強い筋の通ったものにした。具体的な巨大プロジェクトで、こうした建築・都市・土木の連携は、全国的に見ても例がない。この仕組みに支えられて、駅舎は旭川の未来の文化を胚胎する密度の高い空間をえることができた。(『北のセントラル・ステーション』より)」
大矢二郎氏は、今年から文学館副館長に就任した。

文学館は外国樹種見本林の中にある。この見本林の存在は、文学館の魅力をさらに引き立てていると言ってもよい。昨年秋、文学館と見本林が「北海道遺産」に認定された。そこにオープンカフェを造るということは、新たなお客様を獲得することにつながるのではないかと期待するものである。
旭川について予備知識のない人が、もし旭川に初めて来たとすれば、感じるのは「川沿いがなんかすごいぞ」「駅と高架橋が凝っているな」ということではないだろうか。「まちは誰が作っているのか」など、ほとんどの人は気にしていない。しかしこのまちは本当に多くの人の合作であり、他に例を見ないほど関係者の労力をつぎこんでここまで来た。
大矢副館長は前述の『北のセントラル・ステーション』で次のように語る。
「橋はまた、その上を通行する歩行者や運転者に河川空間を見晴らす視点場を提供する。2011年(平成23年)秋、約半世紀ぶりに忠別川を溯上する鮭が確認された。石狩川水系の水質向上と整備が2年前に放流した稚魚を回帰させたのだ。翌年以降も溯上は続いており、時節になると橋の上から魚群を眺める市民が増えている。忠別川は市民の日常生活と密着した親しみ深い空間に変貌した。」
そのことを、私達も一緒に喜びたいと思うのである。

by 三浦文学案内人 三浦隆一

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【案内人ブログ】No.28(2019年7月)

朗読劇団くるみの樹 2019定期公演 「エゾカンゾウと鰯雲」

こんにちは。近藤弘子です!
今回は、5月25日(土)と6月1日(土)の、朗読劇団くるみの樹による第2回定期公演「エゾカンゾウと鰯雲」(小説『天北原野』より)の紹介です。

今回は9場面ありました。

1 あらすじ
2 完治の最期
3 娘との別れ
4 あき子の遺言
5 罪と罰
6 完治の言い分
7 あき子の言い分
8 孝介と貴乃の往復書簡
9 エゾカンゾウと鰯雲

この中で、5、6、7、8の場面は本の中には実際にないものです。特に6と7は亡くなっているであろう(?)完治とあき子がインタビューされるという、とてもおもしろく、本を読んでいない人でもわかる脚本だったと思います。

 

当日は、「何人ぐらい観に来てくれるかな?」という不安をよそに、並べた椅子がいっぱいになるほどのお客様!! ありがとうございます。途中で笑いが起きて嬉しかったです。
約80分を総勢17名で演じました。
実は私、本番で二度もミスをしてしまいました。それも今まで一度もミスっていないところで……。人間、何事にも気を抜くな……ってことなんですね。反省しています。
昨年から始まった朗読劇ですが、素人の私でもわかるほどにレベルが上がっています。忙しい中、皆が必至に練習しました。定期公演の他にリーディングシアターも上演予定がありますので、たくさんの方に観て頂きたいと思っています。お待ちしています!!

by 三浦文学案内人 近藤 弘子

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【案内人ブログ】No.27(2019年6月)

三浦綾子文学『道ありき』の春光台における足跡を辿る調査研究

綾子さんが、70年前に幼馴染で恋人の前川正と散策した春光台の丘の道はどこか。
郷土史家の小原陽一さんが三浦綾子文学『道ありき』の春光台における足跡を辿る調査研究をまとめ、先日、現地で見学説明会を行いました。

旭川市の北に位置する丘陵地の春光台は戦前、陸軍第7師団の演習場でした。戦後、第7師団がなくなると、春光台は食糧増産と外地からの引揚者の受け入れための開拓が始まりました。
小原さんは昭和27年春光台で生まれた開拓者二世です。豊かな自然が残る春光台で育ちました。そして、綾子さんと前川正が春光台を散策したことを知り、小原さんは春光台公園に文学碑を建設する呼び掛け人になりました。しかし、この2014年6月の『道ありき』文学碑建設のころは、この道を特定することができませんでした。小原さんは、その後、開拓期を知る地域の人など約70人から聴き取るなど、70年前に綾子さんが前川正と歩いたであろう(と思われる)道を調べた結果をまとめ、今回、発表していただけることになりました。

今回のコースをご覧ください(図:小原陽一さん作成)。見学会で案内していただいたS字カーブの道②と③の間は、笹が生い茂り倒木が道をふさいで歩くことができませんでした。(見学会の後、片付けられて道は歩けるようになりましたが、土砂崩れの跡があるなど、安全に歩けるようになるにはまだ整地が必要かと思います)

小原さんは見学会の1年近く前から調査の経過を、その都度私に熱く語ってくれました。70年も前のことですから開拓期を知る人たちも高齢化しており、早くしなければならないという焦りもあったと言います。小原さんは一つの調査仮説がくずれるとまた考え直し、あくまでも事実に添おうと文献に当たるなどして修正し、説明してくれました。
私は、小原さんの話に感動し引き込まれていきました。そして小原さんの、この探求心はどこからくるのだろうか? 小原さんが生まれ育った春光台に対するふるさと愛ではないかとも思いました。

綾子さんは、この丘でのことを、「自分たちの住む街が、紫色に美しくけぶるのを眺めながら、いつものように短歌や、小説の話などをした」「前川正が二人のために祈り、一生懸命生きましょうねと言った彼の言葉が今も聞こえてくるような気がする」(『道ありき』二一)と書いています。
私には、この丘から自分の住む街を眺める場面は、綾子さんの小説『続泥流地帯』で、石村耕作が深山峠の小高い台地で生徒たちに語る場面に重なります。

深山峠は、上富良野の市街から一里半ほど旭川寄りの所にある。(略)
「すばらしいだろう。これがお前たちのふるさとだ。よっく心に焼きつけておけ」
「いいか、よく聞くんだ。自分たちのふるさとを胸に焼きつけておくということは、人間として大事なことなんだ」

(『続泥流地帯』深山峠)

綾子さん自身が心に焼きつけた、春光台の丘から眺めた旭川の街を思いながら、石村耕作に、深山峠から眺めたふるさと上富良野を「よっく心に焼きつけておけ」と言わせているように思います。
ここには、綾子さんの春光台体験とでも呼べるもの、綾子さんが綾子さんになっていく体験があると思います。

小原さんの調査研究は、綾子さんが恋人の前川正と「歩いたであろう道」といっています。その道を確定はしていません。有力な仮説ではあると思いますし、もしかすると二人が歩いた道は1本だけではなかったかもしれません。
それにもまして小原さんのお話の感動的なのは、私たちに綾子さんの思い、体験をより身近なものに感じさせ考えさせてくれ、綾子さん理解をより深めてくれるところにあると思います。
小原陽一さんの素晴らしい調査研究、ありがとうございました。私もまた、綾子さんが歩いた春光台の道を歩いてみたいと思いました。

「君たちはいつの日にか、この村を離れて、ほかの町に住むようになるかも知れない。しかし、そこに楽しいことが待っているとは限らない」

「いや、つらい目に会ったり、苦しい目に会ったりすることが、多いかもしれない。そんな時にな、ふっとこの広大な景色を思い浮かべて、勇気づけられるかも知れないんだ。人間はな、景色でも友だちでも、懐かしいものを持っていなければならん。懐かしさで一杯のものを持っていると、人間はそう簡単には堕落しないものなんだ」

(『続泥流地帯』深山峠)

by 三浦文学案内人 山崎健一

 

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【案内人ブログ】No.26(2019年5月)

三浦綾子読書会語り手養成講座に参加しました!

こんにちは!近藤弘子です!
今回は美瑛のペンションで4月22日~24日まで2泊3日の合宿。その名も三浦綾子読書会語り手養成講座に参加した時の様子です。8名が45分程度の講演をし、聴講者も含め全員で批評し合い、選ばれた2名が24日、文学館で講演デビューというプログラムです。案内人の中から村椿さんと私が参加しました。
この講座は昨年2月にも行われ、私達も聴講しましたが、まさか自分が人前で話すなんて夢にも思っていませんでした。
まず、50分の原稿を書くのが大変でした。旭川に住んでいる利点を生かし、アドバイザーの森下先生に何度も原稿を見てチェックして頂きました。
受講資格は、三浦文学を多くの人に語りたいという情熱!!
でも情熱だけでは足りないんです。わたしの場合、合宿の前の日に原稿が完成!ハズカシ~!
私は『泥流地帯』を取り上げました。
21歳の時、本に出会い綾子さんファンになり、50歳を過ぎて案内人のボランティアをはじめ、人生が変わった……!!という内容です。
ですが不幸なことに他2名が同じ『泥流地帯』。
私はトップバッターで話しましたが、その間ずーっと足が震えていました。自分の番が終わっても油断できません。批評するので真剣です。そのためか、あっという間に過ぎました。


食事もとてもおいしく、またおしゃべりも楽しく、初めて会った方とも仲良くなれる!!綾子さんファンっていいですね!
最後の夜、投票し2名を選ぶのですが……なんと私が入ってしまいました。もう一人は中学校の国語教師の方です。そして同じ『泥流地帯』。
また、あの緊張が……と思うと当日の昼食もあまり食べられませんでした。でも文学館には案内人の仲間などが聴きにきてくれて、頑張れました。
案内人のボランティアをしながら、いろんなことに挑戦する!大変でしたが語ることを考えるよいチャンスになりました。


by 三浦文学案内人 近藤弘子

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【案内人ブログ】No.25(2019年4月)

オジロワシと鮭

私は三浦綾子記念文学館で案内人のボランティアをしているが、「旭川野鳥の会」にも所属し、趣味でバードウォッチングを楽しんでもいる。会に入って最初のうちは、内陸や山岳部に住む、鳴き声の美しい鳥に魅きつけられていたが、最近はもっぱらオジロワシに興味を持つようになって来た。というのは、最近の新聞記事で、札幌中心部を流れる豊平川あたりでもオジロワシを見かけるようになった。それは、どうも豊平川に鮭の回帰が増えていることと関係しているらしい。もっとも、そんなことには気付かずに通り過ぎていく人が大半のようであるが、という記事であった。何年か前に鮭の溯上を止めていた、深川の花園頭首口に、魚道が設けられ、私の住む旭川でも鮭の回帰は増えていると実感している。3年ほど前に「大雪と石狩の自然を守る会」会長の寺島一男先生に連れられて、忠別川の緑東大橋付近で、溯上してきた鮭を自分の目で見た時の興奮を鮮やかに思い出す。鮭は長い海洋生活を経た後に、自分が生まれた川に産卵のために帰ってくる。どのようにして自分の生まれた川を発見するのかについては、諸説がありはっきりとはしていない。鮭は清流の川にしか卵を産まないので、これがあるということは、自然が残っている、あるいは保護されていることのバロメーターのようになっている。その上に、生態系の頂点に存在するオジロワシの姿も見られるとなれば、それは実にすばらしいことなのだ。

昨年秋に、旭川野鳥の会の仲間たちとサロマ湖のキネアネップ岬に行った時のことを思い出す。自分の持っている双眼鏡を通してみたオジロワシの姿は吹き出したくなるようなものだった。一羽のオジロワシが一匹の鮭を足元に踏みしだいている。それをまるで護衛するかのように、にらみをきかせるもう一羽のオジロワシ。その周りを「僕たちにもくれよ」と言うかのように、ウロウロしている三羽のカラス。「いやだ、やらないよ」と言っているように見える、オジロワシの姿。そのうちにバトルが始まった。

オジロワシは文学館に近い美瑛川では見ることはできないが、石狩川の永山新川に近い上流付近や、まれに常磐公園あたりでも見ることができる。国の天然記念物であり、国RDB絶滅危惧種でもある。

文学館のある外国樹種見本林では、アカゲラの食痕を見ることができる、エゾエンゴサクや福寿草、桜が咲き出す春は、もうそこまで来ている。私たち案内人は、文学館と三浦綾子さんを案内するとともに見本林についての案内もできるように準備している。文学館にお越しの際には、ぜひ見本林も散策されることをおすすめする。

三浦綾子さんは、東京へ移り住まないかといろいろな人からすすめられてもそれを断り、終生この旭川に住み、旭川で書くことにこだわり続けた。それはなぜそうだったのかを感じとって頂ければと思う。

by 三浦文学案内人 三浦隆一

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【案内人ブログ】No.24(2019年3月)

私のおすすめの本

三浦綾子のエッセイ集『一日の苦労は、その日だけで十分です』の中から一編を紹介させて頂きます。
ある日、綾子さんに一通のはがきが届きました。

私こと
この度死去いたしましたのでご連絡申し上げます。〇〇頃より体力が衰え手厚い看護を受け○○日に〇〇歳でこちらへ参りました
お受けした温いお心ありがとうございました
片岡ハル 冥土の地にて

あの世からの手紙ですから、綾子さんも驚きます。笑わせ上手の片岡さんの冗談かと思われましたが、そうではありませんでした。手紙は自筆のコピーで娘さんからの添え書きがあり、亡くなってから一ヶ月後に投函するようにとの遺言があったとのことでした。
実は、私も縁あってこの手紙を片岡さんから頂いていたのです。大変驚きましたが、何と格好いいのだろうと思った記憶があります。
この片岡ハルさんは、綾子さんが療養していた旭川の結核療養所「白雲荘」の婦長さんをされていた方です。心が沈みがちな患者さんたちをいつも笑わせ、療養所内は明るくなっていきました。男性患者がニセ医者に、綾子さんがニセ看護婦に扮して、新しく入所した患者さんを皆でだまして笑い合うことができたのも、片岡婦長の人柄、存在が大きかったと書かれています。この頃の綾子さん、生きることに否定的な思いを持っていたのですけれど、片岡さんとの出会いは、少なからず後の綾子さんのお考えに影響があったのかもしれませんね。
綾子さんは、「この手紙を真似て格好よく去って行きたいけれど、どこかニセ者臭さがあって、片岡さんのようにスッとこの世からあの世へ移っていくのは無理だ」と思われたそうで。
このエッセイは死について書かれていますけれど、淋しさや暗さを感じさせずに共感できました。
ちなみに片岡ハルさんについては、エッセイ集『私のあかい手帖から』にも書かれていて、心がほっこり暖かくなります。これも私の大好きな一冊です。綾子さんの感性と想いがたっぷり詰まっています。
『一日の苦労は、その日だけで十分です』のどこかに一日の貴方の想いを軽やかにしてくれる一編がきっとあります。どうぞ愛読書になさってください。

綾子さんがまだパーキンソン病を発病される前に、三浦光世さん・綾子さんをお尋ねして、沢山のお話をさせて頂き、ずっと手を握って下さっていた感動は、何年経っても色あせません。そして今、三浦文学案内人として綾子さんの愛を日々感じながら、この不思議なご縁を大切に文学館と関わらせて頂きたいと思います。

by 三浦文学案内人 山川弘子

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【案内人ブログ】No.23(2019年2月)

「三浦綾子文学の道」モニュメントの制作者 長澤裕子さんにお会いして

彫刻家・長澤裕子さん

成人の日が終わって、お正月気分もぬけた1月18日金曜日、私達(山崎・戸島)は彫刻家長澤裕子さんにお話をうかがう機会を得ました。

『道ありき』文学碑(旭川市春光台公園)

長澤さんは、ご存知の方も多いと思いますが、あの『道ありき』文学碑の制作者です。この方の作品が、あらたに「三浦綾子文学の道」と名付けられた国道237から文学館までの市道に、昨年11月16日、設置されたのです。

外国樹種見本林に向かう左側の歩道に建てられた180㎝のモニュメント「愛の道」。「愛」の文字は綾子さんの手によるもので、赤い彩色がほどこされています。
長澤さんによるとこのモニュメントは、綾子さんと光世さんが寄り添って歩いておられる写真をご覧になったところから発想されたそうです。

人と人が寄り添って歩く いろいろな思いを分かち合って歩く…
これは文学碑『道ありき』のテーマでもあります
そんな道の「道しるべ」になれば…
わくわくとかドキドキとか、何かしらの思いをもって文学館を訪れた人が、希望をもって帰る
その足取りはスキップしてるかも…
踊ってるかも…

長澤さんのお話をうかがっていると、モニュメントの真中に穿たれた穴からは、なるほど光が差し込んできます。
旭川市は当初、「三浦綾子文学の道」という標識だけを設置する考えだったようですが、こんな素敵なモニュメントが建てられて本当にうれしい!!

綾子さん達は、世に出した作品を「わたしたちの子供」といっておられましたが、長澤さんも、ご自分の作品が手を離れていくときは、お嫁に出す心境だそうです。作品がその置かれたところで、なでられたり抱かれたりして、その人の心に残っていく、彫刻もその風合いを変えていく。「彫刻は生きている」と言われるそうで、それは幸せなことだとおっしゃっていました。

彼女の温かな人間味あふれるお話は、綾子さんの人間性に重なるように感じられて、私達はすっかり長澤フアンになってしまいました。今後の予定として、9月の札幌での個展のことなど未発表のことまでお聞きしたのですが、「ぜひ拝見したい!」「札幌まで行きたい!」「旭川で展覧会があったらもっとうれしい!」と思ったことでした。
これからも、三浦綾子の作品をテーマにした彫刻が、彼女の手によって世に出されることを祈りながら、amie工房(旭川市旭町)での楽しいランチを終えました。

長澤さん、貴重な時間をさいて和寒町からの冬道、わざわざお越しくださったことに感謝します。ありがとうございました。ますますのご活躍を祈っています。

by 三浦文学案内人 戸島雅子

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【案内人ブログ】No.22(2019年1月)

『塩狩峠』その後の物語

こんにちは。近藤弘子です。

今回は、2018年12月24日に行われた、旭川に住む作家さん3人の朗読会のことを報告します。私達案内人の講師である森下辰衛先生が出演し、『雪柳~ふじ子から天国の永野信夫への手紙』というご自身の小説の一部を朗読しました。

クリスマスイブ!ツルツル道路なのに、会場は人でいっぱい。50名までは数えましたが、パイプ椅子を出すほどの盛況ぶり!

『塩狩峠』ファンの方なら、一度は「ふじ子さんは、その後どうなったんだろう?」と考えるのではないでしょうか。

綾子さんのように前川正さんを亡くし悲しんでいたのに、一年後、光世さんが現れた!

でも、ふじ子さんはどうだろう?

永野さんにソックリな人でも現れるのか?

そこは文学館の特別研究員である先生です。

教会の少ない資料から調べ上げ、現実味があるのです。

ふじ子さんが大阪に住む永野さんのお母様に逢いに行き、二人とも泣いたこと!

乗客がふじ子さんと二人であったとしても、永野さんは守ってくれたはず!

うんうん、そうだ、ありそうだ!!

などと、一人考え聴き入っていた私でした。

 

今年の2月28日はモデルである長野政雄さんが殉職された110年目になります。

改めて『塩狩峠』のすばらしさを知って頂き、読み継がれていってほしい本です。

 

by 三浦文学案内人 近藤弘子

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【案内人ブログ】No.21(2018年12月)

「三浦綾子記念文学館と外国樹種見本林」が北海道遺産となる

北海道に関係する自然・文化・産業などの中から、次世代へ継承したいものとして、北海道遺産構想推進協議会が選定する「北海道遺産」というシステムがある。
平成13年10月、第1回選定分として稚内港北防波堤ドーム(稚内市)など25件が選定された。平成16年10月、第2回選定分として旭橋(旭川市)など27件が選定された。そして平成30年11月、北海道命名150年記念を念頭においた第3回選定分として、「三浦綾子記念文学館と外国樹種見本林」など15件が新たに選定された。これをもって、北海道遺産の認定は全部で67件となった。

この朗報に私たち関係者は心から喜び、三浦文学ワールドを後世に引き継ぐ決意を新たにしているところである。今年、三浦綾子記念文学館は開館20周年を迎えた。9月29日の記念式典等は、9月6日胆振東部地震の影響でことごとく取り止めとなったが、今回の快挙はそれらを補って余りあるものであった。
去る9月29日オープンした分館の目玉は、何といっても三浦家の書斎の移設である。

では分館を巡ってみよう。最初に現れるのが受付と多目的室である。多目的室の口述筆記体験コーナーはユニークであり、小学生たちの人気を集めている。テーブルや椅子、ベンチは「旭川家具」で統一されている。ちなみに、この旭川家具も今般北海道遺産に選定された仲間であり、その逸品が室内に配置されている。

廊下を経た小説『氷点』『続氷点』の展示室は、作品のあらすじが詳しく紹介されており、三浦文学ファンにとっては実に魅力的な世界が出現した。『氷点』の主題は「原罪」、『続氷点』の主題は「ゆるし」である。罪には「ゆるし」が必要不可欠である。「ゆるし」があって初めて私たちはこの世の中を生きていくことができるのだ。この展示室の奥では、モニターで田中綾館長と森下特別研究員の映像(15分)が流れている。『氷点』『続氷点』のミニ文学講座で自由にご覧頂けるので、ぜひ視聴して見聞を広めて頂きたいものである。
書斎中央には大きな長机がある。綾子さんと光世さんが向かい合って座り、綾子さんが語り光世さんが書きとる様子が目に見えるようである。時折、綾子さんは立ち上がって長机の周りを歩き回る。そんな姿すら容易に思い起こさせる貴重な空間だ。左窓の上には額装された賀川豊彦先生の書「博愛衆及」(人間相互の助け合いを「博愛」として、それがすべての民衆に広がること)が掲げられている。隅っこの三角柱の形をした棚には、最上段に綾子さん光世さんのそれぞれの両親の写真が置かれ、中段にはジュエリーボックスや白布に包まれた小箱(前川さんが手術で取り除いた肋骨の一部が入っていて、前川さんから綾子さんに渡したもの)が置かれている。

『氷点』『続氷点』の世界を追体験できる外国樹種見本林の入口には『氷点』文学碑が建っている。
「風は全くない。東の空に入道雲が高く陽に輝やいて、作りつけたよう動かない。(以下略)」
三浦綾子記念文学館と外国樹種見本林は、これからなが~い冬を迎える。

「冬来たりなば春遠からじ」。三浦文学案内人一同、皆様のご来館をお待ちいたしております。

by 三浦文学案内人 森敏雄

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